ニュースリリース
タイ 古都アユタヤに第二工場を新設・生産開始
~生産能力を増強し、販売数量を拡大~
2009.01.29国際
株式会社ヤクルト本社(社長 堀 澄也)では、2009年2月4日からグループ企業のタイヤクルト株式会社が新設した、アユタヤ工場で「ヤクルト」の生産を開始します。
タイでは、1970年にタイヤクルト株式会社を設立し、1971年よりバンコクを中心にヤクルトレディによる宅配チャネルで「ヤクルト」の販売を開始しました。
現在でも、このヤクルトレディによる訪問販売のみに注力し、1日あたり約190万本まで販売数量が拡大しており、バンコクにある工場の生産能力を上回る需要を予想しています。
そこで、タイヤクルト株式会社では、アユタヤに第二工場を新設し、今後の販売地域の拡大と販売数量の増加に備えることとなりました。アユタヤ工場は、当初、約40 万本/日で生産を開始し、最大生産能力は約130万本/日となります。
アユタヤ工場の新設・生産開始により、一人でも多くのタイ国民に「ヤクルト」をお届けし、人々の健康づくりに貢献します。
アユタヤ工場の概要は、下記の通りです。
記
【参 考】
1.タイにおける現在の事業展開の概要
タイでは、タイヤクルト株式会社が製造した「ヤクルト」をタイ国内の販売会社が、タイ国全土でヤクルトレディによる宅配で販売しています。
2.タイヤクルトの概要
会社名 : タイヤクルト株式会社
※タイヤクルト株式会社は決算上、株式会社ヤクルト本社の持分法適用会社です。
設立 : 1970年10月
所在地 : タイ バンコク
代表者 : プラパン・へータクン
ヤクルトレディ数 : 2,995名(2008年12月末時点)
販売実績 : 190万本/日
※2008年1月~12月の乳製品売上数量(1日平均)
3.タイおよびアユタヤの概要
(1)タイの概要
(2)アユタヤ県の概要
アユタヤは、ユネスコから世界文化遺産に指定され、美しい遺跡が点在する古都、観光の町としても有名です。また、地理的にチャオプラヤー河に面し、タイを代表する稲作地帯でもあります。
17世紀頃には、東南アジア最大の交易港となり、周辺諸国だけでなく、中国、日本、ヨーロッパとも外交関係を持ち、山田長政を長とする1,000人以上の日本人移住者がチャオプラヤー川沿いに日本人町を形成していたことでも有名です。
タイでは、1970年にタイヤクルト株式会社を設立し、1971年よりバンコクを中心にヤクルトレディによる宅配チャネルで「ヤクルト」の販売を開始しました。
現在でも、このヤクルトレディによる訪問販売のみに注力し、1日あたり約190万本まで販売数量が拡大しており、バンコクにある工場の生産能力を上回る需要を予想しています。
そこで、タイヤクルト株式会社では、アユタヤに第二工場を新設し、今後の販売地域の拡大と販売数量の増加に備えることとなりました。アユタヤ工場は、当初、約40 万本/日で生産を開始し、最大生産能力は約130万本/日となります。
アユタヤ工場の新設・生産開始により、一人でも多くのタイ国民に「ヤクルト」をお届けし、人々の健康づくりに貢献します。
アユタヤ工場の概要は、下記の通りです。
- 工場所在地 : アユタヤ県パックラン区(首都バンコクより北へ約60km)
- 工場建築面積 : 約15,000㎡
- 生産能力 : 生産開始時は約40万本/日
最大生産能力は約130万本/日 - 生産開始日 : 2009年2月4日(予定)
- 供給地域 : タイ国全土
以 上
【参 考】
1.タイにおける現在の事業展開の概要
タイでは、タイヤクルト株式会社が製造した「ヤクルト」をタイ国内の販売会社が、タイ国全土でヤクルトレディによる宅配で販売しています。
2.タイヤクルトの概要
会社名 : タイヤクルト株式会社
※タイヤクルト株式会社は決算上、株式会社ヤクルト本社の持分法適用会社です。
設立 : 1970年10月
所在地 : タイ バンコク
代表者 : プラパン・へータクン
ヤクルトレディ数 : 2,995名(2008年12月末時点)
販売実績 : 190万本/日
※2008年1月~12月の乳製品売上数量(1日平均)
3.タイおよびアユタヤの概要
(1)タイの概要
約6,282万人 | |
51.4万平方キロメートル ※日本の約1.4倍の面積 | |
バンコク | |
仏教95%、イスラム4%、キリスト教など | |
1バーツ(THB)=2.60円(2008年12月末レート) |
(2)アユタヤ県の概要
アユタヤは、ユネスコから世界文化遺産に指定され、美しい遺跡が点在する古都、観光の町としても有名です。また、地理的にチャオプラヤー河に面し、タイを代表する稲作地帯でもあります。
17世紀頃には、東南アジア最大の交易港となり、周辺諸国だけでなく、中国、日本、ヨーロッパとも外交関係を持ち、山田長政を長とする1,000人以上の日本人移住者がチャオプラヤー川沿いに日本人町を形成していたことでも有名です。